映画の撮り方を忘れてしまった監督、園子温による全くエロくも、面白くもない、ロマンポルノ。芸術を狙いすぎて視聴者を無視した内容がひどいです。3点(100点満点)
アンチポルノのあらすじ
世間からもてはやされている小説家兼アーティストの京子(冨手麻妙)は、今日も極彩色の部屋で分刻みのスケジュールをこなしていた。しかし、寝ても覚めても消えない悪夢が京子をさいなみ、彼女は自分は京子なのか、京子を演じているのかと混乱してしまう。そして、虚構と現実の間で、彼女の過去の秘密が明らかになり……。
シネマトゥデイより
アンチポルノの感想
「牝猫たち」、「風に濡れた女」、「ジムノペディに乱れる」、「ホワイトリリー」と並ぶ日活ロマンポルノ・リブートプロジェクト作品のひとつです。
わざとらしい舞台風の演技が耳障りで、現実とフィクションがめまぐるしく行ったり来たりするどうでもいい話です。実は全部映画の中の話でした、みたいな展開の繰り返しが面倒臭いです。
見ていて苦痛でしかなく、なんの快楽も与えてくれない毒物で、時間とお金を無駄にしたくなかったら、見ないほうがいいでしょう。
園子温の自己満足のためのマスターベーション映画ですね。これで視聴者が性的に興奮することはまずないし、むしろ興ざめしたり、引いたり、退屈したりするだけです。
ロマンポルノの企画なのに園子温一人だけシュールな芸術路線を走り、期待を裏切ったことに対して、どや顔している状況が想像できてしまって吐き気がしました。
それでも推理小説を読むかのように深読みして、悦に入る視聴者がいそうで怖いです。
やれこれは女性の性を描いた傑作だとか、やれこれは抽象画のような作品だとか、隠れたメッセージ性があるとかなんとか。そういう奴はルーブル美術館に行った回数を自慢してくるような輩なので相手にしないほうがいいですよ。
この映画のキーワードはずばり「売女(ばいた)」。何回、言うんだよってぐらい複数の登場人物たちがしつこくこの単語を繰り返していましたね。
「私は売女。でも処女なの。処女なのに売女なの」
「私は売女になりたい。日本一の売女になりたいの」
「お前は売女になりたいのかい? お前ごときが売女になれると思ってるのかい?」
そもそも「「売女(ばいた)」なんて言葉自体、日本語であまり使われないですよね。登場人物たちが言うセリフ、単語がそんな調子でいちいち不自然で、滑稽でしかなかったです。
ヌードシーンにはぼかしが入り、BGMには不釣合いなクラシックが流れるなど、演出の全てが狙いすぎて逆効果でした。エロティックなシーンはひとつもなく、色気を期待して見た視聴者に対する裏切り行為でしかないです。
それにしてもこんなゴミ映画に出演した女優たちが可哀相でなりません。どうせだったらもっとまともでメジャーな園子温作品に出たかったことでしょう。
ラストのヒロインのセリフが現実とリンクします。
「出口はどこ? 出口はどこ? 出口はどこ?」
このセリフが流れたら、一刻も早く映画館、あるいは退屈からの出口を探しましょう。そしてその日に見た、おぞましい映画のことは一切忘れてしまったほうがきっと素晴らしい一日を送れるはずです。